『思い出のマーニー』に世界は変えられない!
『思い出のマーニー』(2014年/日本/103分)
監督:米林宏昌
原作:ジョーン・G・ロビンソン
脚本:丹羽圭子・米林宏昌・安藤雅司
作画監督:安藤雅司
音楽:村松崇継
主題歌:プリシラ・アーン『Fine On The Outside』
声の出演:高月彩良、有村架純、松嶋菜々子、寺島進、根岸季衣、森山良子
配給:東宝
※ネタバレ含みます。(最後の最後の謎についてだけは伏せました)
「太っちょブタ!」
"輪の外側"に生きる孤独な女の子・杏奈は、ぜん息の療養のため訪れた村で、そこに住む女の子に語気を荒げて言い放つ。
闊達で明るく強いイメージのこれまでのジブリ作品のヒロインとはまったく違うキャラクターだ。自分の気持ちは隠し、なるべく波風立たないように人と接する。でも、本当は誰かとつながりたいと思っている。同時に、そんな自分のことが大嫌いだと言う。
オープニングで1人で絵を描いている杏奈に、学校の先生が「見せて」と手をさし伸べる場面がある。この時、杏奈は恥ずかしいような、うれしいような顔をして頬を赤らめる。
しかし、ある邪魔が入ったことでとうとう絵を見せることはできなかった。私は"輪の外の人間"だと自覚しているのに、"輪の内"に入りたいと思ってしまう自分もいる。そんな相反する感情に引き裂かれそうになっている女の子・杏奈がマーニーと出会う。
これまで誰にも心を開かなかった杏奈が、マーニーとはたちまち腹心の友(!)になってしまう。マーニーは杏奈を抱きしめ、「泣いてもいいよ。あなたを愛しているわ」と優しく声をかける。なぜだろう。
映画や小説には、イマジナリーフレンド(空想上の友達)というのが登場することがある。『かいじゅうたちのいるところ』(2009)は、家族に相手にされずに孤独を感じた男の子が家を飛び出し、空想の島に住む"かいじゅうたち"と出会い、傷つけ合い、失敗しながら自分の無力さを知り、大人になる物語だった。
孤独に押しつぶされそうになった子どもは、心のバランスを保つために空想の世界に"友達"を創造する。その友達は、自分の理想とする姿であったり、自分が抱える闇の面であったり、さまざまな形で登場する。
"輪の内側"にするりと入ってくる、自由で明るく美しいマーニーは、杏奈の理想とする"もう1人の自分"だ。心を通わせるのに時間はいらない。
ただ、この話がおもしろいのは、マーニーには杏奈の心だけでなく、ある人物の記憶が投影されている点。これが物語にミステリー的な要素をもたらしていて、最後まで興味が途切れない。ここでは、それが誰の記憶かについてだけは伏せておくことにしようと思う。
2人の間には友情を超えた何かを感じさせる場面がいくつもある。ボートの漕ぎ方を教えるために、そっと後ろから手をまわされた時の杏奈の表情は、心臓の鼓動が速くなっていることをありありと感じさせる。
さらに顕著なのは屋敷で開かれるパーティーの場面。杏奈は、和彦とダンスをするマーニーの姿を見て嫉妬する。すると、それに気づいたのかマーニーが杏奈の手を取り踊りに誘う。月夜の下の2人だけのダンス。とてもロマンチックなシーンだ。そこに流れる空気は、紛れもなくラブストーリーである。
しかし、ここで2人の間に立ちはだかるのが、マーニーはもう1人の自分であると同時に"ある人の記憶"、つまり他者でもあるということ。すべてが杏奈の思う通りにはならない。
だから「今までに会ったどの女の子よりもあなたが好き」というマーニーに対し、杏奈が「私も今まで会った"誰より"も好き」と返してしまう。切ないすれ違いが2人の行く末をほのかに暗示しつつ、確かな違和感を残す印象的なやりとりだ。
さらに、マーニーは杏奈の抱える闇を体現した存在にもなっていく。
杏奈はある過去の出来事から恐怖に縛られているマーニーを救うべく、崖の上のサイロに2人で向かう。激しい雷雨の中、杏奈はマーニーの肩を抱き、「大丈夫」と声をかける。しかし、突如としてマーニーは姿を消してしまう。
これは、幼い頃に両親を亡くした杏奈の心の反映だ。突然ひとりぼっちにされ、寄る辺ない孤独を味わって生きてきた杏奈は、マーニーに激しく問いかける。
「どうして私を置いていってしまったの?どうして私を裏切ったの!」
マーニーはこう答える。
「杏奈、あなたにさよならしなければならないの。だから杏奈、お願い。許してくれるって言って…」
杏奈は言う。
「もちろんよ!許してあげる!あなたが好きよ!」
両親の死が受け入れられず、周囲からの愛情を求める一方、またひとりぼっちにされるのではと恐怖し、整理がつかない感情の渦の中でもがき苦しんで来た杏奈は、マーニーを許すことで両親の死を受け入れ、自分の心を解放する。
流れ込む水は、せき止められていた杏奈の感情だろう。
『思い出のマーニー』は、宮崎駿と高畑勲が関わらなかった初めてのジブリ作品。米林監督も語っているとおり、「ひとりの少女のほんのちょっとの成長」を描いた作品ゆえに、『魔女の宅急便』(1989)の空を飛ぶ爽快感や『もののけ姫』(1997)の暴力、『千と千尋の神隠し』(2001)の造形豊かな神々の登場はなく、アニメとしての見せ場に物足りなさを感じるのは残念。
監督は企画意図で「宮崎さんのように、この映画一本で世界を変えようなんて思ってはいません」とはっきり語っている。作り手として、どんな作品だろうと世界を変えるつもりで取り組んで欲しいとは少し思うけれど、こう続けている。
「もう一度、子どものためのスタジオジブリ作品を作りたい。この映画を観に来てくれる『杏奈』や『マーニー』の横に座り、そっと寄りそうような映画を、僕は作りたい」。つまり、真意は"世界のジブリ"よりも"あなたのジブリ"でありたい、ということだろう。
最後に、主題歌について触れておきたい。主題歌『Fine On The Outside』は、プリシラ・アーンが孤独だった中学時代を思いながら数年前に作った曲なんだそう。この曲はこんな歌詞から始まる。
小さな頃からずっと 友だちは少ないほう だから平気でいられるようになったの ひとりでも ひとりでも…
これからも外側にいたっていいの
"輪の外側"にいる当時のプリシラ・アーンは、まさに杏奈ではないか!!孤独を抱え、行き場も無くさまよっていた彼女の魂は、『思い出のマーニー』という作品に出会って救われた。
空も飛ばなければ、神様も化け物も出てこない。世界を変えるような作品でもない。正直、監督が思いを届けたい子どもたちには退屈な作品になっているかもしれない。
しかし、どこかに必ずいる"杏奈"や"マーニー"に寄りそい、「泣いてもいいよ」と優しく抱きとめてくれる作品なのだ。