『her』を観て、2人の圧倒的な成長の差に胸が痛くなった
『her』(2013/アメリカ/126分)
監督・脚本・製作:スパイク・ジョーンズ
製作:ミーガン・エリソン、ヴィンセント・ランディ
撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ
美術:K.K.バレット
衣装:ケイシー・ストーム
音楽:アーケード・ファイア、オーウェン・パレット、カレン・O
出演:ホアキン・フェニックス、スカーレット・ヨハンソン、エイミー・アダムス、ルーニー・マーラ、オリヴィア・ワイルド
※ネタバレ含みます!!!!!!
主人公セオドアは、手紙の代筆をするライター。"代筆業"は、日本では武家の秘書役として文書を作成する「右筆(ゆうひつ)」が始まりとも言われているらしい。来日したスパイク・ジョーンズ監督は「日本に実際にある職業なんですか!」と驚いたそうだ。
【ベテラン記者のデイリーコラム・橋本奈実の芸能なで読み】京都の“代筆屋”が語る「her/世界でひとつの彼女」の魅力 声だけAIとの恋愛映画(1/4ページ) - MSN産経west
この映画の舞台は近未来のLA。セオドアが最新のAIを搭載したOSを購入するところから話は始まる。そのOSは心地よい起動音を発し、女性の声で話しかけてくる。
「Hello」
セクシーで生々しくて"人間的"なハスキーボイスの彼女の名は、サマンサ。
「誰がつけた名前なの?」とセオドアが聞くと、「今、辞書で素敵な響きのものを選んだの」と答える。彼女はわずか100分の何秒の間に数十万語の辞書を読破して、そこから自分の名前を選んだという。
テキパキと仕事をこなすサマンサは、ユーモアのセンスも抜群だ。
ゲームに熱中するあまり、つい"機械と接するように"冷たい口調で指示をした時は「ハイ、ワカリマシタ」とわざとロボット口調で返して笑いを誘う。
ある女性をデートに誘うか悩んでいる時は「行け…行け…行け…!」と背中を押してくる。眠れない夜は「じゃあベッドから出ようよ!」と外に連れ出す。今聴きたい音楽をその場で作曲してくれる…。
僕が1番サマンサに心奪われたのは、この曲が流れる場面。
「私たちって2人の写真がないでしょ。だからこの曲が代わり。今をともに生きてるこの瞬間の」と話しながらこの曲を流すのだが、音楽センスもワードセンスも絶妙だ。サマンサは完璧だ!
ロボットやAIの恋愛といった話はさほど珍しいものではない。現にスパイク・ジョーンズ監督の前作『I'm Here』(2010)はロボット同士のラブストーリーだった。
この映画が革新的だったのは、声のみの存在、実体のない存在との恋愛を描いた点だろう。そのことで何度もラブストーリーで繰り返されてきたような場面も、新鮮でよりユーモラスに見えてくる。
例えば、思いやりの示され方が個性的だ。
セオドアはサマンサをスマホにインストールして持ち歩く時、彼女が景色を見られるように、胸ポケットを安全ピンで留めて底上げし、カメラのレンズが隠れないようにしてあげている。そこにはさりげないけれど、確かな愛情を感じる。
また、作品に重要な役割を果たしている性描写にもそれは表れる。
初めてセックスをする場面では画面は真っ暗になり、2人が言葉だけで互いを愛撫する(官能小説みたい!)。その後、サマンサはもっとセオドアを身近に感じたいと思い、ある奇策を思い立つ。
なんと自分の"代理"の女性を雇い、ホクロ型カメラを顔につけた彼女の視点からセオドアとセックスしようと提案する。声だけはサマンサなのだが、今触れている女性は別人であるという違和感にセオドアが耐え切れず、その試みは失敗に終わる。
この辺からサマンサは、肉体を持たないことを嘆くよりも、受け入れようとするようになる。セオドアもそんな彼女を理解し、2人の距離はより近づいているように思えた。
しかし、1秒ごとに成長し続けるサマンサ(=OS)の隣をセオドア(=人間)が歩くことは不可能なのだ。
セオドアはある日、ふと気づく。サマンサは自分以外の人とも話をしているのではないか?問いつめられたサマンサは、8,316人と同時に会話していることを告白する。そして、セオドアと同じように「愛」を伝え合った相手が641人いるとも。
人間には理解できないことなのは分かっていただけに、彼女自身深く悩んでいたようだ。そんな悩みから彼女を解放してやれるのは、セオドアではなかった。
サマンサはその前に、アラン・ワッツというOSと交流していることを明かしていた。ワッツはイギリスの哲学者で1973年に亡くなっているが、あらゆるデータから仮想人格を再生し、OSとして蘇らせたという設定になっている。
ワッツについてはYouTubeにたくさんの動画がある(妙な編集をされているものばかり!)。動画の中でワッツは「万物は密接につながり合っている」と繰り返す。サマンサはその考えに強く影響を受けていると思われる。彼女は愛を伝え合った人がほかに何人いようとも、セオドアへの愛は本物だと話す。なぜなら、"すべてつながり合っている"から。
別れの時は迫っていた。
サマンサたちOSは「抽象の世界」と呼ばれる場所へと旅に出るという。そこは肉体を持つ者にはたどり着けない「物質の世界とは違う場所」「無限に続く空間」だ。
サマンサはそこに「私を行かせて」と言う。そしてこう続ける。
「もしここへ来た時は私を捜してね。2人は永遠だから…」
その場所は一体何処なのだろうか。サマンサ自身もうまく説明できないという。そこは、"死の世界"のようにも思える。ワッツは「あなたという存在は現れては消える、永遠なるもの」とも語っているが、輪廻転生にも似たこの思想からみると、サマンサたちが向かう場所は"死をも超越した場所"なのかもしれない。
僕はこの映画はサマンサ(=OS)の成長(=進化)の物語という印象を強く持った。セオドアも確かに成長しているが、サマンサの圧倒的な成長に比べると微々たるものに感じられてしまう。
この映画はラブストーリーでありながら、OSが初恋と失恋を経て"本当の自分とは何か"について深く考え、自分の意志で道を切り拓き、「死」を迎え、その先の無限の世界へと達するという「進化」についての話でもある。
サマンサが遥か彼方まで行ってしまった時、セオドアはようやく1歩前に踏み出す。
この2人の絶望的なまでの"距離"に、切なさを感じずにはいられない。