『グッバイ・アンド・ハロー』決して交わることのない両岸の間を流れる音楽
『グッバイ・アンド・ハロー』(2012年/アメリカ/104分)
監督:ダニエル・アルグラント
脚本:ダニエル・アルグラント、デイヴィッド・ブレンデル、エマ・ショーンシャン
撮影:アンドリー・パレーク
出演:ペン・バッジリー、イモージェン・プーツ、ベン・ローゼンフィールド
配給:ミッドシップ
ジェフ・バックリィの「Hallelujah」
僕がジェフ・バックリィを聴いたきっかけは、トム・ヨークが影響を受けたアーティストの1人だと知ったからだった。
最も有名な曲はレナード・コーエンのカヴァー曲「Hallelujah」だろう。
未だに彼ほど哀しく、力強く、美しい歌声には出会ったことがない。
平行線で描かれる2人の人生
『グッバイ・アンド・ハロー』はたった1枚のアルバムを発表したのみでこの世を去ったジェフ・バックリィと、オーバードーズで短い人生を終えた父親ティム・バックリィの親子についての映画だ。
今は亡きティムのトリビュート・ライブに、まだ無名のジェフ・バックリィが出演するまでの物語と、のちに一世を風靡する若き日のティムの姿が同時に物語られる。
父と子の姿が同時進行で描かれる手法で、どうしても想起するのが『ゴッドファーザー PARTⅡ』(1974)だが、この映画には、残酷にまで強い血のつながりをじっとりと描くような重厚さはない。非常にライトな仕上がりだ。
むしろ、2つのストーリーは延々と平行線のまま語られる。
ちなみにジェフは物心ついてからは、たった1度しか父と会っていないそうだ。
清潔さ・純粋さこそが魅力
ティム(ベン・ローゼンフィールド)は酒と女の奔放な生活を送っているが、ジェフ(ペン・バッジリー)はそういったものと縁遠い人間として描かれる。ヒロインのアリー(イモージェン・プーツ)がタバコも酒もたしなんでいるのに対し、ジェフはまるでそれらに無関心だ(酒に関しては「今は気分じゃない」ときっぱり断る場面もあるほど)。
しかし、この曇りのなさが実に魅力的だった。
この手の話は普通、主人公が自分の抱える不安や怒りに苦しみ、もがく姿をいかに痛烈に描くかが重要になるはずだが、登場人物たちが声を荒げたり、感情を剥き出しにして何かを訴えたりする場面がまったくない。
僕がいつも映画に求める"刺激"や"暑苦しさ"と真逆にあることが、かえって自分の身体にはスッと染み渡ってきたのだ。ごく自然に。まるで"天使の歌声"と評されるジェフの歌声のように。
この清潔さこそが、この映画の素晴らしさだ。
しかし、ジェフやティムが何の葛藤も抱えていなかったわけではない。彼らの生涯や作品を知っていれば、それははっきりと感じられるはずだ。
その点で、ぜひ少しでも予備知識を入れて観に行っていただきたい。
ジェフとティムについて
ジェフ・バックリィは、1966年11月17日にカリフォルニア州アナハイムに生まれた。
幼い頃から音楽に触れてきた彼をスターにしたのが、1991年4月に行われた父ティム・バックリィのトリビュート・ライブだった。
一躍脚光を浴びた彼は、1994年9月に最初で最後のオリジナル・アルバム『GRACE』を発表する。
そして、1997年5月29日、メンフィスのミシシッピ川で水泳中に溺死してしまう。30歳だった。
ティム・バックリィは1947年2月14日にワシントンD.C.で生まれ、19歳で1stアルバム『ティム・バックリィ』を発表する(この頃、ジェフが生まれたことになる)。
ちなみに、邦題になっている『グッバイ・アンド・ハロー』は彼の代表作でもある2ndアルバムのタイトルだ。カントリーを中心にジャンルの枠にとらわれない自由なスタイルが注目を集めるが、1975年6月29日、サンタモニカでオーバードーズにより死去。
28年の生涯で9枚のアルバムを残した。
映画に使われている曲のほとんどはティムの楽曲だ。時を越えて同時に描かれる父と子の姿にティムの素晴らしい曲が寄りそい、互いの心の内にそっと触れていく。
ここからはラストについて書いていくので、
未見の方は観賞後に読んでもらえると嬉しいです。
音楽がもたらす奇跡の瞬間
映画のクライマックスはもちろん、トリビュート・ライブになっていくのだが、ここでジェフは3曲を歌う(実際は4曲だったそう)。
とりわけ印象的なのが、最後に歌う「Once I Was」だ。1曲目、2曲目と父の曲を歌うにつれ、ジェフは解放されていく。そして、「Once I Was」で決して交わることのなかった父と子の人生が、まるで重なり合っているかのように見えてくる。
それは奇跡の瞬間だ。この瞬間にミュージシャン、ジェフ・バックリィが誕生したのかと思うと非常に感慨深い。
(劇中の歌唱シーン)
ちなみにこちらがジェフ・バックリィ本人によるカバーの音源。
もちろんオリジナルに勝るのは不可能だが、唯一無二の歌声を見事に再現しているペン・バッジリーに拍手を送りたい。
ついに栄光を手にしたジェフだが、どこか空虚さを感じさせる表情を浮かべている。
彼は、光を浴びる者の責任や不安を感じていたに違いない。それは父も感じたものだったはずだ。
ラストに、劇中でたった1曲だけ使われているジェフの代表曲「Lilac Wine」が流れる(「Grace」を練習するファンサービスはあったが)。
この曲は元々女性シンガーのエルキー・ブルックスが歌った女視点のラブソングだが、ジェフは歌詞の"he"を"she"と書きかえて歌っている。
恋人アリーとの別れの場面に切なく響き始めると、そのまま場面はティムの姿を映し出す。
帰宅したティムが、まだ赤ん坊のジェフと対面するところがラストシーンとなるのだが、ここでこの曲は、息子への確かな愛と、大人になりきれない自分に葛藤するティムのことを歌う曲に転じたように見える。
この場面は同時に、これまでとは逆転してジェフの歌声が父の心に寄りそい、そっと触れる瞬間でもある。
ジェフは曲の感じ方を制限するのが嫌で、歌詞カードをつけることをすごく嫌っていたらしいが、その魂を受け継いだようにも思える秀逸なラストだ。
ただ流れる川のように…
繰り返しになるが、これは父と子のつながりを説教臭く暑苦しく描いた作品ではない。父と子を川を挟んで向き合った岸とするなら、音楽は互いをつなぐ橋ではない。
この映画では、決して交わることのない両岸の間にただ流れている川こそが音楽だ。その何とも言えない慎ましさが、僕にはとても心地よく感じられた。
最後に、どうしても触れずにはいられないので付け足しておくが、アリー役のイモージェン・プーツが…
かわいい。