2014 ミュージックビデオ ベスト 10
「2014 ミュージックビデオ ベスト 10+1」
独断と偏見で選んでみました。
1位から順になってます。では、どうぞ。
1. BRONDINSKI Feat.SD "Can't Help Myself"
素晴らしいMVやCMを作りまくっているメガフォース制作の作品。過去作品はこちらから→ http://www.megaforce.fr/
黒い玉とトンネルのモチーフがかっこいい。
奥さんと上の娘とはうまくいっていないのを匂わせ、そこに胸の内から染み出てくる(←この感じがいい!)黒い玉。
クラブで出会った女の子とバイクで走り去る美しい場面で終わるかと思ったら、最後にトンネルにいるのは男の子。
"あの頃は良かった"というノスタルジアの際限なき地獄の話。
2. Mac DeMarco "Passing Out Pieces"
マック・デマルコっていうカナダ人シンガーのMV。
脈絡のない暴力とサイケなイメージが連続する絶妙なトリップ感。
VHS映像、広角レンズと手法にも凝っていて、混沌をうまくコントロールしているのがうまい。
3. Sia "Chandelier"
今年最も話題のMVの1つ。
映画『セブン』に出てきた集合住宅の一室みたいな暗く汚い部屋に、一瞬、裸かと見間違うような全身肌色のレオタードを着た少女が現れ、踊り狂う。
金髪、ショートカット、肌色のレオタード、この衝撃的なビジュアルは『ブレード・ランナー』の女レプリカント、プリスの影響を受けたのは間違いないと思う→Blade Runner (6/10) Movie CLIP - Deckard vs. Pris (1982) HD - YouTube
圧倒的なパフォーマンスを見せているこの少女は、マディ・ジーグラーちゃん(11歳)。
この子の顔、雰囲気はもちろん、美術、振付け、すべてが美しい。
そしてラストショット。フォーカスが少しずつぼやけていき、不穏に響く環境音が背筋にゾクッとした感覚を残す。演出も見事。
4. OK Go "The Writing's On the Wall"
これはもはや説明不要。
毎回あらゆるアイデアとギミックで楽しいMVを作ってくれるOK Goの新作。
HONDAとコラボしたこれもいいけど→OK Go - I Won't Let You Down - Official Video - YouTube
個人的にはこっちの手作りっぽい細々した感じの方が好き。
5. M.I.A & The Partysquad "Double Bubble Trouble"
M.I.A.自身が監督。衣装、小道具の色設計、スタイリッシュな編集のひとつひとつ全てがM.I.A.のセンスに溢れている。
ワイプで映像をかぶせてくるところのダサカッコよさなんかは、1歩間違えればかなり素人臭くなりそうだけど、うまくまとめているのがすごい。
話題の3Dプリンター銃をいち早く取り入れる行動力もM.I.A.らしい。
6. Royal Blood "Figure It Out"
アイデア勝ちの1本。
パッと画面が赤から青に切り替わった瞬間、「うわーこれはやられた」と思った。
ただ、後半の展開力に欠けたのが残念。
もっとストイックにやっていれば傑作だったと思う。
7.Queens of the Stone Age "Smooth Sailing"
監督は日本出身のヒロ・ムライ。
ロケーション、照明、カメラワークなどがいちいちカッコイイ。
北野武作品のようなドライで無表情で残酷な方向を目指したとのこと。
後半の悪夢のような展開がおもしろく、主要キャストが日本人サラリーマンというミスマッチ感も新しく楽しい。
8.DJ Snake, Lil Jon "Turn Down for What"
脳みそが溶けそうなほどアホでカラッポでめちゃくちゃ楽しい作品。
「Turn down for what ?」「Fire up that loud」「Another round of shots」という3つのセンテンスのみで構成された頭の悪い歌詞を見事に表現したMVといえるかも?
9. おとぎ話 "COSMOS"
女の子のダンスという点では3位の"Chandelier"と共通するが、あっちが陰だとするとこちらは陽。
女の子を横から追っていたカメラがぐるっと前に回ると、後ろに煌びやかな夜の銀座のネオンが輝く。そこでアーティスト名が大きくバッと出て、音楽が高まり、踊りが始まり、映像が躍動する。あの瞬間、ぶわぁーっと込み上げるものがある。
個人的には、後半の女の子の表情が微妙に気になるが、ワンカットでもきっちり計算された構図の1つ1つは非常に綺麗。
ちなみにこの年齢不詳の女の子、水谷豊と伊藤蘭の娘(24歳)らしい→趣里 - Wikipedia
10. Lykke Li "No Rest for the Wicked"
監督はTarik Salehというスウェーデン人で、リッキ・リーが主演のスリラー映画『Tommy』も手がけた人物。このリッキ・リーもまたスウェーデン人。
"No Rest For The Wicked"は「悪人に平穏なし」という意味。聖書のイザヤ書に「 no peace for the wicked」という表現が登場するらしい。
暗く冷たい空気が漂う中、2人が互いの温もりを求め合い抱き合う。その切なく儚い美しさ。差別に屈する者の姿は、血の味を思い起こさせる。
公式MVではなく、スパイク・ジョーンズが友人で元カノのカレン・Oにサプライズ・プレゼントとして作ったもの。
撮影はNYコレクションの準備をしているメトロポリタン劇場で行われ、エル・ファニングを起用。
スパイク・ジョーンズといえば、去年の作品だが『フランシス・ハ』の主演女優グレタ・ガーウィグと作ったパフォーマンス型MVも傑作→Arcade Fire - "Afterlife" - Live at the YouTube Music Awards (YTMA) - YouTube
『アオハライド』ストーリーよりも"キュン死にポイント"を重視したキラキュン青春ラブストーリー
『アオハライド』(2014/日本/122分)
監督:三木孝浩
原作:咲坂伊緒(集英社「別冊マーガレット」連載)
脚本:吉田智子
主題歌:いきものがかり「キラリ」
製作:東宝映画
配給:東宝
出演:本田翼、東出昌大、新川優愛、藤本泉、千葉雄大、高畑充希
「キュン死に映画」という新ジャンル
『L♡DK』『近キョリ恋愛』『好きって言いなよ。』『クローバー』(すべて2014年公開)
昨今、邦画界に跋扈する"キュン死に映画"というジャンル(勝手に言ってます)に共通するのは、高圧的な男性と女性のツンデレ的恋愛が描かれているという点。
その系譜に新たに加わったのが『アオハライド』。
ちなみに、アオハライドというのは青春(あおはる)にライド(乗る)の造語とのこと。
中1の頃に両想いだったにも関わらず、互いに想いを告げられないまま離ればなれになった双葉(本田翼)と洸(東出昌大)が高2の春に再会。しかし、洸はある過去に縛られて別人のようになってしまっていた…という話。
※以下、ネタバレあり
早々にネタバレしてしまうが、この洸の"ある過去"というのは、女手ひとつで育ててくれていた母親を病気で失ってしまったというもの。
献身的にお見舞いにも行っていた洸だが、母親を幸せにしてやれなかったと責任を感じ、以来、自分は幸せになってはいけない人間だと殻に閉じこもるようになっているらしい。
(ちなみに、洸の兄も同じ高校の教師として登場するが、弟がこんなにも思い病んでいるのに対し、兄は人ごとのようにけろっとしていて相当ヤバい)
そして、物語は洸を過去から解放してあげるべく、双葉はじめ友達たちが立ち上がる展開になっていく。
大事なのはストーリーよりも"キュン死にポイント"
映画を観ていると、ところどころに"キュン死にポイント"が散りばめられているのに気づく。例えば、泣いているところをギュッと抱き寄せられたり、振り向きざまにキスされたり。たとえそれがいかに無理があるシチュエーションだとしても、当然のようにキュン死にポイントは展開される。
これはさっき挙げた何本かの映画すべてに共通しているのだが、どれも原作が少女漫画ということが影響しているのだろう。
少女漫画というのは各エピソードごとにキュンとくる何か(=見せ場)を入れ込まないといけないわけだから、それ故にストーリー的に無理が生じることは避けられない場合がある。
むしろ、ストーリーよりも大事なのは、いかに斬新で新鮮なキュン死にポイントを発明できるかというところだ。『近キョリ恋愛』では教卓の下でキスするっていう超現実的で画期的なシーンがあるが、これもどうキュンキュンさせるかが先行して生まれた場面としか思えない。
すべてはキュン死にするために!
で、そういった原作を映画化しているわけなので、この手の作品をストーリー的にどうこう言っても仕方ない気がしてくる。
この映画は"キラキュン青春ラブストーリー"と銘打っているとのことだが、これを観に来る人たちにしてみれば、キラキラしてキュンキュンしたシーンがあればあるだけ嬉しいに決まっている。
僕だってドッカンドッカン爆発が起こったら楽しいし、無駄だろうが美人な女優さんがガンガン脱いでるほうが嬉しい。
青春といえば「青空」「モノローグ」「走る少女」みたいなイメージが様式美になっていることにはウンザリするけれど、本田翼はかわいいし、東出くんはカッコイイし、あらゆる場面でキュン死に映画としての役目は真っ当に果たしていると思う。
だから別に修学旅行先が個人の都合で操作されても、生徒が夜中に抜け出して朝焼けを見るのを先生が許しても、そんなのいちいち指摘するなんて愚行でしかない。
東出くんが高校生に見えないというのも「これはファンタジーですよ」ということを示唆するための作り手の親切心じゃないか!
平凡で地味な現実を忘れ、夢のような美男美女の素敵な恋と友情のファンタジーを愛でるのが、この映画の正しい楽しみ方だ!そう、すべては"キュン死に"するために!
メリークリスマス!
『グッバイ・アンド・ハロー』決して交わることのない両岸の間を流れる音楽
『グッバイ・アンド・ハロー』(2012年/アメリカ/104分)
監督:ダニエル・アルグラント
脚本:ダニエル・アルグラント、デイヴィッド・ブレンデル、エマ・ショーンシャン
撮影:アンドリー・パレーク
出演:ペン・バッジリー、イモージェン・プーツ、ベン・ローゼンフィールド
配給:ミッドシップ
ジェフ・バックリィの「Hallelujah」
僕がジェフ・バックリィを聴いたきっかけは、トム・ヨークが影響を受けたアーティストの1人だと知ったからだった。
最も有名な曲はレナード・コーエンのカヴァー曲「Hallelujah」だろう。
未だに彼ほど哀しく、力強く、美しい歌声には出会ったことがない。
平行線で描かれる2人の人生
『グッバイ・アンド・ハロー』はたった1枚のアルバムを発表したのみでこの世を去ったジェフ・バックリィと、オーバードーズで短い人生を終えた父親ティム・バックリィの親子についての映画だ。
今は亡きティムのトリビュート・ライブに、まだ無名のジェフ・バックリィが出演するまでの物語と、のちに一世を風靡する若き日のティムの姿が同時に物語られる。
父と子の姿が同時進行で描かれる手法で、どうしても想起するのが『ゴッドファーザー PARTⅡ』(1974)だが、この映画には、残酷にまで強い血のつながりをじっとりと描くような重厚さはない。非常にライトな仕上がりだ。
むしろ、2つのストーリーは延々と平行線のまま語られる。
ちなみにジェフは物心ついてからは、たった1度しか父と会っていないそうだ。
清潔さ・純粋さこそが魅力
ティム(ベン・ローゼンフィールド)は酒と女の奔放な生活を送っているが、ジェフ(ペン・バッジリー)はそういったものと縁遠い人間として描かれる。ヒロインのアリー(イモージェン・プーツ)がタバコも酒もたしなんでいるのに対し、ジェフはまるでそれらに無関心だ(酒に関しては「今は気分じゃない」ときっぱり断る場面もあるほど)。
しかし、この曇りのなさが実に魅力的だった。
この手の話は普通、主人公が自分の抱える不安や怒りに苦しみ、もがく姿をいかに痛烈に描くかが重要になるはずだが、登場人物たちが声を荒げたり、感情を剥き出しにして何かを訴えたりする場面がまったくない。
僕がいつも映画に求める"刺激"や"暑苦しさ"と真逆にあることが、かえって自分の身体にはスッと染み渡ってきたのだ。ごく自然に。まるで"天使の歌声"と評されるジェフの歌声のように。
この清潔さこそが、この映画の素晴らしさだ。
しかし、ジェフやティムが何の葛藤も抱えていなかったわけではない。彼らの生涯や作品を知っていれば、それははっきりと感じられるはずだ。
その点で、ぜひ少しでも予備知識を入れて観に行っていただきたい。
ジェフとティムについて
ジェフ・バックリィは、1966年11月17日にカリフォルニア州アナハイムに生まれた。
幼い頃から音楽に触れてきた彼をスターにしたのが、1991年4月に行われた父ティム・バックリィのトリビュート・ライブだった。
一躍脚光を浴びた彼は、1994年9月に最初で最後のオリジナル・アルバム『GRACE』を発表する。
そして、1997年5月29日、メンフィスのミシシッピ川で水泳中に溺死してしまう。30歳だった。
ティム・バックリィは1947年2月14日にワシントンD.C.で生まれ、19歳で1stアルバム『ティム・バックリィ』を発表する(この頃、ジェフが生まれたことになる)。
ちなみに、邦題になっている『グッバイ・アンド・ハロー』は彼の代表作でもある2ndアルバムのタイトルだ。カントリーを中心にジャンルの枠にとらわれない自由なスタイルが注目を集めるが、1975年6月29日、サンタモニカでオーバードーズにより死去。
28年の生涯で9枚のアルバムを残した。
映画に使われている曲のほとんどはティムの楽曲だ。時を越えて同時に描かれる父と子の姿にティムの素晴らしい曲が寄りそい、互いの心の内にそっと触れていく。
ここからはラストについて書いていくので、
未見の方は観賞後に読んでもらえると嬉しいです。
音楽がもたらす奇跡の瞬間
映画のクライマックスはもちろん、トリビュート・ライブになっていくのだが、ここでジェフは3曲を歌う(実際は4曲だったそう)。
とりわけ印象的なのが、最後に歌う「Once I Was」だ。1曲目、2曲目と父の曲を歌うにつれ、ジェフは解放されていく。そして、「Once I Was」で決して交わることのなかった父と子の人生が、まるで重なり合っているかのように見えてくる。
それは奇跡の瞬間だ。この瞬間にミュージシャン、ジェフ・バックリィが誕生したのかと思うと非常に感慨深い。
(劇中の歌唱シーン)
ちなみにこちらがジェフ・バックリィ本人によるカバーの音源。
もちろんオリジナルに勝るのは不可能だが、唯一無二の歌声を見事に再現しているペン・バッジリーに拍手を送りたい。
ついに栄光を手にしたジェフだが、どこか空虚さを感じさせる表情を浮かべている。
彼は、光を浴びる者の責任や不安を感じていたに違いない。それは父も感じたものだったはずだ。
ラストに、劇中でたった1曲だけ使われているジェフの代表曲「Lilac Wine」が流れる(「Grace」を練習するファンサービスはあったが)。
この曲は元々女性シンガーのエルキー・ブルックスが歌った女視点のラブソングだが、ジェフは歌詞の"he"を"she"と書きかえて歌っている。
恋人アリーとの別れの場面に切なく響き始めると、そのまま場面はティムの姿を映し出す。
帰宅したティムが、まだ赤ん坊のジェフと対面するところがラストシーンとなるのだが、ここでこの曲は、息子への確かな愛と、大人になりきれない自分に葛藤するティムのことを歌う曲に転じたように見える。
この場面は同時に、これまでとは逆転してジェフの歌声が父の心に寄りそい、そっと触れる瞬間でもある。
ジェフは曲の感じ方を制限するのが嫌で、歌詞カードをつけることをすごく嫌っていたらしいが、その魂を受け継いだようにも思える秀逸なラストだ。
ただ流れる川のように…
繰り返しになるが、これは父と子のつながりを説教臭く暑苦しく描いた作品ではない。父と子を川を挟んで向き合った岸とするなら、音楽は互いをつなぐ橋ではない。
この映画では、決して交わることのない両岸の間にただ流れている川こそが音楽だ。その何とも言えない慎ましさが、僕にはとても心地よく感じられた。
最後に、どうしても触れずにはいられないので付け足しておくが、アリー役のイモージェン・プーツが…
かわいい。
台風注意!ということでビル・マーレイが歌うボブ・ディラン"Shelter from The Storm""
アメリカで10月24日から公開される『St.Vincent』から、主演のビル・マーレイがボブ・ディランの『Shelter From The Storm(嵐からの隠れ場所)』を歌うシーンが先行公開されました。
特になにが起こるわけでもないけど、これがなんか沁みる。
ビル・マーレイはいい年のとり方してるなあ。
『Shelter From The Storm』はボブ・ディランの15枚目のアルバム『血の轍』に収録。
"彼女は言った 「お入り、あんたに嵐からの隠れ場所をあげるわ」"
皆さんもこの曲を聴きながら、台風には十分にお気をつけください。
ちなみに『St.Vincent』は、人嫌いのおっさん(ビル・マーレイ)が、離婚した母と2人で隣に越してきた少年と心を通わしていくというお話。
コメディ版『グラン・トリノ』やん!!
『ファーナス/訣別の朝』負け続ける者たちの勝利なき戦い
『ファーナス/訣別の朝』(2013/アメリカ/116分)
監督/脚本:スコットクーパー
脚本:ブラッド・インゲルスビー
製作:ジェニファー・デイヴィソン・キローラン、レオナルド・ディカプリオ、ライアン・カヴァナー、リドリー・スコット、マイケル・コスティガン
撮影:マサノブ・タカヤナギ
音楽:ディコン・ハイフェンクリフェ
出演:クリスチャン・ベイル、ウディ・ハレルソン、ケイシー・アフレック、フォレスト・ウィテカー、ウィレム・デフォー、ゾーイ・サルダナ、サム・シェパード
※前半はネタバレなしです。
低俗で陰惨な暴力からの幕開け
Release me"解放してくれ"
オープニングで流れるパール・ジャムの「Release」が、これから起こる不条理な悲劇に巻き込まれていく男たちの心の叫びを代弁する。
映画はドライブイン・シアターで年増の女と映画(かかっているのは『ミッドナイト・ミート・トレイン』)を観ているヒルビリーの男ハーラン・デグロート(ウディ・ハレルソン)の凄まじい暴力で幕を開ける。
※ヒルビリーは山の奥地に住み、一般社会からは隔絶された世界で自分たちのルールに従って生きるアイルランド系の人々を指す表現。彼らを描いた『ウィンターズ・ボーン』(2010)も素晴らしい作品。
泥酔したハーランを見て「運転して帰れるの?」と問う女に「この車は自動運転だ」と返すハーラン。このジョークを女が笑うと、ハーランは「なにが可笑しいんだ」と真顔で問いつめる。『グッドフェローズ』(1990)のジョー・ペシと同じ怖さを感じて思わず身構えた。
そして、女が食べていたホットドッグを奪うと、ソーセージを女の口に突っ込み「淫売野郎め!」と罵る。異常に気づいて止めに入った隣の車の男を滅多打ちにしたところで、タイトル『Out of the Furnace"溶鉱炉の外"』という文字が浮かび上がる。
どん詰まりの田舎町に生きる兄弟
舞台はペンシルベニア州ブラドック。かつては鉄鋼産業の中心としてにぎわった町だが、時代の移り変わりによって今や貧しく廃れた町となってしまった。
ペンシルベニアの経済の変遷については、ジャーナリストの竹田圭吾さんが公式サイトとパンフレットに詳しく寄稿されているので参考にしてほしい。
そんな町に暮らす兄ラッセル(クリスチャン・ベイル)は、製鉄の仕事に勤しむ毎日を送っている。今にも息絶えそうな病床の父の姿が、製鉄所で働く者の過酷で悲惨な未来を暗示しているが、それでも彼はすべてを受け入れ、恋人のリナ(ゾーイ・サルダナ)と慎ましい幸せを築いていた。
弟ロドニー(ケイシー・アフレック)は、兄を慕いながらも製鉄業やどん詰まりの田舎暮らしを嫌い、軍に入隊してイラク戦争に4度出征した帰還兵だ。働き口のないロドニーは、酒場のオーナーのペティ(ウィレム・デフォー)に借金をしながら競馬に明け暮れていた。
正反対の2人だが、それでも兄弟の絆はとても深い。
この映画、とにかく豪華キャストの演技が素晴らしい。
下品で卑怯なW・ハレルソンの怪演はもちろん、C・アフレックの純粋さの中に見せる危うさからも目が離せない。錆びついた製鉄所など、ロケーションも抜群だ。
そして、唐突に訪れる悲劇が彼らの人生を狂わせていく。
※以下、ネタバレを含みます。
善良な男はどこまでも堕ちていく
ラッセルは不慮の交通事故で子どもを死なせてしまい、刑務所に入れられてしまう。彼が出所した時、周囲の状況は一変していた。父は死に、ロドニーは廃炉でストリートファイトを行う生活。
心の支えだったリナを最後の拠り所として、もう1度2人で人生をやり直そうと想いをぶつける場面が悲痛だ。彼が刑務所にいる間に、リナは保安官ウェズリー(フォレスト・ウィテカー)との間に子どもを身ごもっていたのだ。それを聞かされても、必死に笑顔を作り「それは素晴らしいことだね」と言うラッセル。なぜ彼がこんな思いをしなければならないのか、と悔しくてたまらない。
この場面のC・ベイルとZ・サルダナの演技には心底感動させられた。
さらに追い打ちをかけるように、ハーランとのトラブルに巻き込まれたロドニーが遺体として発見される。すべてを失ったラッセルは、復讐に盲進していく。
「不満があるのか?」「世の中のすべてにな」
『ファーナス』は、1960年代後半から1970年代にかけて盛り上がりを見せた"アメリカン・ニューシネマ"の作品群を彷彿させる。帰還兵・貧困・無能な体制・暴力などは、アメリカン・ニューシネマでくり返し描かれてきたものだ。
実際、さまざまなところで『ディア・ハンター』(1978)との共通点が語られている。帰還兵のロドニーがストリートファイトに身をやつす様は、ロシアン・ルーレットに取り憑かれるクリストファー・ウォーケンの姿に重なるし、"鹿狩り"も印象的に登場するからだ。
アメリカン・ニューシネマの主人公たちに共通するものの1つとして、"怒りや不満を糧にして生きている"という点が挙げられる。
嚆矢とされる『俺たちに明日はない』(1967)のボニーとクライドは体制への強い怒りから強盗を繰り返し、『タクシー・ドライバー』(1976)のベトナム帰還兵トラヴィスは、生を実感するための怒りのはけ口を探してタクシーで街を徘徊する。
『ファーナス』の登場人物を見てみると、ロドニーとハーランが実はとても似た人物であることが分かる。
ハーランはラッセルと初めて対面した時に「何かに不満があるのか?」と聞かれ、「世の中のすべてにな」と答える。彼は"怒り"を燃料に命を燃やしてきた男だ。
そんな自分の生き方を、ストリートファイトに取り憑かれたロドニーの姿に重ね合わせた瞬間があったのかもしれない。だから、ロドニーを射殺する時に「目を逸らせ、こっちを見るな」と言ったのではないだろうか。
ラストで弟の仇を討たんとするラッセルに「俺はロドニーの兄だ」と告げられた時、「あのタフな坊やか」とこぼしたその言葉は、同じ世界を生きた者への彼なりの敬意のように思えてならない。
苦難からの解放を叫ぶ男たち
そして最後には、それまで怒りを溶鉱炉に葬り圧し殺してきたラッセルもまた、怒りを糧として生きる男となりハーランの後頭部を射抜くのだ。
戦争や格差社会の犠牲となり、今も尚、苦しみ続ける者たちに勝利は訪れない。現場にいながらラッセルを止めることができなかったウェズリーも、自らを呪うだろう。彼は無能な体制の象徴だ。
"Furnace"という言葉には、「苦難」「試練」という意味もある。『Out of the Furnace』は"苦難の外"に這い出ようとする者たちの物語だ。
ラストに再び流れる「Release」が、"俺を解放してくれ"と彼らの魂の叫びを結ぶ。